1つ
たくさん持っていると、便利に思えるけど
局面で何を瞬時に出すか迷うようなら
1つだけ絶対的なものであったほうがいい
その1つを見いだすのが、実は一番難しく感じる。
たくさん持っていると、便利に思えるけど
局面で何を瞬時に出すか迷うようなら
1つだけ絶対的なものであったほうがいい
その1つを見いだすのが、実は一番難しく感じる。
よく「集中しよう」っていう言葉
聞いたり、思ったりするけど
言われたり、自分に思いこませたりした後には
「集中」に似た何かはあるようなんだけれど
あの本当に気持ちのいいスカッといく領域と何か違う…
なんだかね〜
僕は「あ」と言いたいのだけれど
君には「い」と聞こえ
彼は「う」と言いたいのだけれど
彼女には「え」と聞こえ
みんなに「お」と聞こえてしまったりしている。
みんなちょっと幸せになりたいだけなんだけれど
ちょっとだけ、ずれた音を出してしまい
ちょっとだけ、ずれて聞こえてしまっている。
ちょっとがちょっとづつ…
すると大きな違になって
けど、もとをただせば
そう大きな違いじゃないのに。
結果が求められる世の中
過程が大事だと慰められ、勇気付けられても
結局、結果あっての過程だと思い知らされる現実。
結果をどこまでで判断するかはそれぞれ
「今」で決めるか
まだ見えない先で決めるか
先輩達の言葉も、その方々の生き様や経歴で響き方が変わるのは事実。
ああだ、こうだ、言っても
結局は色々な意味で結果に思えてしまうことが寂しくも、またそれが真実なのか…
何かをわかろうとすると
これまでの自分ではなく
知るという作業に伴う、変化みたいなものがついてくるように感じる。
「変化」の連続が「知る」ということだとしたら
柔軟にものを考えるためには変化を恐れず、取り込んでゆかないと
澱んだ存在で立ち止まりかねない…
今日みつけた言葉に
「多くの芸術は実は弱さの中から誕生してきた」
というのがありました。
捉え方は様々あれど、なんだか引っかかる一文でした。
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